東日本大震災支援全国ネットワーク(JCN)

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報告!「第4回 現地会議 in 宮城」を開催しました。

JCN宮城担当の池座です。

先週8月22日(水)に仙台市内で開催されました。「第4回 現地会議 in 宮城」について報告です。当日は113名の方にご参加いただきました。ありがとうございました。ご登壇、ご参加いただきました皆さま、また、今回の会議にご協力いただいきました「みやぎ連携復興センター」「日本ファシリテーション協会」、「NPO法人メディアージ」(旧称 笑顔311)の皆さま、感謝申し上げます。

詳しくは下記URL、Ustream動画などご参照ください。

【プログラム詳細】https://www.jpn-civil.net/news/2012/08/4_in.html
【会議のチラシ】https://www.jpn-civil.net/news/docfiles/flyer_20120822_miyagi.pdf
【Ustream動画(テーマ1)】http://www.ustream.tv/recorded/24879189
【Ustream動画(テーマ2)】http://www.ustream.tv/recorded/24880224
【Ustream動画(テーマ3)】http://www.ustream.tv/recorded/24881680

JCN代表世話人、田尻佳史から開会の挨拶を申し上げた後、情報提供としてみやぎ連携復興センターの吉田裕也さんから「復興みやぎネットワーク会議」についての説明をいただきました。「復興みやぎネットワーク会議」はNGO、NPO、社協、企業、大学、行政などの地元の中間支援組織(34団体)を中心としたネットワークで、「組織運営」「まちづくり」「生活再建」という3つのテーマでワーキンググループをつくり団体支援を開始しました。

8AB2E8A4-46EB-40DE-954D-8CA163D2E4D3.JPG▼テーマ1「知る」:県内各地の支援活動の現状と課題を共有

テーマ1は、紅邑晶子さんをコーディネータに、県内各地の特に草の根で活動をされている方の生の声をおききすることができました。
気仙沼復興協会(KRA)の塚本卓さんからは、被災者自身が被災者を支援してきた経緯や組織概要をお話しいただいた後、「問題・課題点として、緊急雇用で行政からの業務を受託しており、それが単年度契約のため長期的な計画が立てられない。被災者の雇用の繋ぎの場として考えていたが、まちづくり計画が思うように進まず雇用の増加の兆しもなく、次の仕事に移れる目途がたたないままみな不安がっている。」「独自で財源確保をしていきたいが、次の財源をどのように求めていくか、毎日の業務に追われていることもあり答えが見えてない。」「市民が支援を受けることに慣れてしまっているせいか、それがまちづくりにも表れている。」との懸念も率直にお話しいただきました。

がんばッと!!玉浦の氏家義明さんからも、避難所にいる時、飲み仲間3人ではじめたところから始めた活動が今の形になるまでの経緯を「むしゃらにやってきた。やることの10個のうちの8個は失敗した。申請書を書いたことがなかったので運営・活動資金に困った。NPO法人格がとれたのは今年の6月。」と振り返り、今後の課題について「集団移転をする人たちを集めてワークショップをしている。とても効果的で、話し合った結果を行政のまちづくり検討委員会に意見として反映している。次世代、次々世代にむけてこの枠組みを使いやっていけると思う。」「玉浦地域は米作りが盛んで、農業機械がほとんど流されてしまったので、若い人が就農できるシステムづくりをワークショップを展開しながらおこなっていきたい。」と展望されました。

続いて、七ヶ浜町仮設店舗・七の市商店街・佐藤鮮魚店店主の佐藤貞子さん。「私はこういうところが初めてなのでうまくしゃべれるかどうかわからない」といいつつも、生まれ育った七ヶ浜の概要や想い、被災してから仮設商店街の立ち上げまで、とつとつとお話しされました。「七ヶ浜町東北一小さな町、そこで魚屋をやってきた。被災した後に何かやろうと思い行商をはじめた。その後、復興商店街への出店の声がかかった。商店街の新しい仲間ができ、ボランティアの方々に看板を作ってもらったり沢山の繋がりができた。商店街の自慢は、仮設の住民が集う場になったり、交流の場になっているところ。」また今後の不安についても教えていただきました。「仮設店舗も応急仮設住宅同様、期限付きの設備。この生活をいつまで続けることができるのかが不安。お店の内容設備は全て中古品なので突然壊れるかもしれない、いつ営業ができなくなるか不安。一番の不安は、レスキューストックヤードさんが居なくなってしまうこと。でもこれからは、自分達で何とかやっていかなくてはいけないと思っている。」

2F7DABC8-5264-46E8-B412-1D043C954357.JPG▼テーマ2「知る」:過去の震災から今現在まで継続する活動の事例、支援のノウハウの共有

テーマ2はJCN代表世話人の栗田暢之がコーディネータを務め、過去の災害で活動された3人から、それぞれ経験と今回の震災支援へのヒントをお聞きしました。

阪神高齢者・障害者支援ネットワークの黒田裕子さんからは、神戸の震災の時の活動をご紹介いただあと、気仙沼で実施している見守りの様子から想いを力強くお話しいただきました。「気仙沼で365日24時間体制で地域の見守り支援をしている。震災関連死、孤独死、うつ病患者などを出さないことを目的にしているが、専門職でなくてもできる支援がある。行政に依存するのではなく、行政からはお金をもらわず、企業から一円でも良いので支援を引き出す工夫をしている。人、モノでも良いので支援してくださいと言い続けてきた。つまり、お金がないからできない、ということではない。ボランティア活動にとって最も重要なのは、理念、信念。」「見守り活動、隠れている方をどうケアするかが重要。見えないことを見る力、声なき声をきく力を身に着けるのが大切。自立と共生が原点で、何でもお手伝いすることが良いことではない。雨の日も雪の日も休まずラジオ体操をしている。今では仮設住民が40人以上が参加。また、支援現場には土足では絶対に入らない(自治会のひと、民生委員のひと達と相談しながら一緒におこなう)ことが大切。」最後に「多種多様な人たちを巻き込んでいき、住民自身が自主的に動いていく流れをつくることが大切」と強調されました。

続いて中越防災安全推進機構の稲垣文彦さん。8年前に起こった中越地震から活動を始めた経験から「気仙沼、玉浦、七ヶ浜のひとの話を聞いて自分が通った道と似ていたので懐かしく思った。」とまず感想。そこから思い出すように自身の経験をお話しされました。「中越の時は、地元の自分達が主体とならなければと思い、中越復興市民会議という中間支援団体を立ち上げ、全国の支援者に助けられ、興す事業、寄り添う事業、伝える事業、考える事業、助成事業などを軸とし活動をしてきた。」これは今回の活動に当てはめるとみやぎ連携復興センターがやっている繋げる事業と玉浦などの現地の活動の両方をやっていたことになるのだそうです。「中越地震1年8か月目に入ってはじめて、県、市町村、民間団体と一緒に情報交換会を持った。その後は、県、市町村の方々と一緒に被災者のために何ができるかじっくりと取り組んできた。活動をしていて一番重要だと思ったことは『その人が持つ本来の役割・チカラを奪ってはいけない』ということ。」また、「支援の両輪(=セーフティーネットとエンパワメント)」「対話の三極構造(=住人と行政だけでなく、地元支援者の三者で支援体制を組む。)」の2点を強調されました。

F2CEEA7F-9207-4117-9F10-C3BEE383E818.JPG最後に柏崎市社会福祉協議会の浅野泰彦さん。浅野さんは中越地震での活動経験の後、中越沖地震で地元社協として中心を担われました。「柏崎市社協は、平成7年ナホトカ号原油流出事故、16年中越地震、17年豪雨災害などでボランティアセンター運営経験があった。」「生活支援相談員制度は中越大震災からシステム化された。孤独死を出さないことを目的とした。中越沖地震。柏﨑市が被災。約1000棟の仮設住宅、仮設住宅の方々を主体とし支援者と一緒にサロン活動、保健師さんなどと連携した見守り、復興住宅への提案活動など行った。」「生活支援相談員は最大20名、5年間の雇用として、現在も地域をまわりながら活動を続けている。柏﨑では、2年間の仮設住宅生活の中で孤独死等は出なかった。歯抜けの仮設を防止するには、支援者が過剰に支援し過ぎず本当に必要な支援を見極めること、居心地がよすぎる状態をつくらないこと。」「社協だけではできないので、行政、NPOとも協力することが重要。しかし、最後はやはり社協だ。そこで生き抜く人たちが主体となるように支援することが大切。」と社協の大切さをお話しされました。

テーマ2の後半はテーマ1と2のパネリストが全員登壇して、疑問やアドバイスがやり取りされました。


▼テーマ3「つながる」
日本ファシリテーション協会の進行により、テーマ1・2の話題提供者が3つのブースに分かれ、参加者を交えた意見交換をおこないました。

当日の配布資料や発言概要(記録)は、後日ホームページで公開いたします。

文責/池座

2012年8月28日 12:20